HumScore は、鼻歌や音声ファイルをブラウザの中だけで解析して、五線譜・コード進行・MIDI ファイルを出す採譜ツールです。ピッチ検出から調の推定まで、外部 API も機械学習モデルも使わず素の JavaScript で書いています。
#🎯 「音を文字にする」の次に来るもの
音を扱うサービスはこれで 3 本目でした。音声を文字にする(voice-scribe)、音を別の音に変える(pitch-flip)ときて、残っていたのが 音を構造にする ── つまり採譜です。
やることを分解すると 4 段になります。
- 波形からその瞬間の周波数を取る
- 周波数の並びを音符に切り分ける
- 音符の並びから調とコードを推定する
- 五線譜と MIDI として出す
どれもライブラリを入れれば済みますが、1 と 3 は考え方が面白いので自前で書きました。
#🎤 YIN でピッチを取る
音の高さを取る方法として最初に思いつくのは FFT ですが、人の声には向きません。倍音が強く出るため、周波数のピークが基音ではなく倍音側に立ってしまい、1 オクターブ上に誤判定します。
そこで YIN という自己相関ベースの手法を使いました。「波形を τ だけずらして自分自身と重ねたとき、いちばん一致する τ が周期」という発想です。
// 1. 差分関数 — τ ずらしたときの二乗誤差
for (let tau = 1; tau < half; tau++) {
let sum = 0
for (let i = 0; i < half; i++) {
const d = frame[i] - frame[i + tau]
sum += d * d
}
diff[tau] = sum
}これだけだと τ = 0 付近が常に最小になってしまうので、YIN は 累積平均正規化を挟みます。
// 2. 累積平均で割る — τ が小さいほど不利になるよう補正
runningSum += diff[tau]
cmnd[tau] = diff[tau] * tau / (runningSum || 1)この一行が YIN の肝で、これがないとオクターブ違いを拾い続けます。あとは閾値(0.15)を最初に下回った谷を探し、放物線補間でサンプル間の精度まで詰めます。
const denom = x0 + x2 - 2 * x1
const betterTau = denom !== 0 ? tau + 0.5 * (x0 - x2) / denom : tau
return sampleRate / betterTau3 点から谷の頂点を推定するだけですが、これがないとサンプリング周波数の刻みでしか音程が出ず、半音の判定がぶれます。44.1kHz でも高い音ほど刻みが粗くなるので、補間は必須でした。
#🎼 調の推定 ── Krumhansl-Schmuckler
音符が並んだあと、「この曲は何調か」を出します。使ったのは音楽認知の研究から来た Krumhansl-Schmuckler のプロファイル法です。
考え方はこうです。
- 出てきた音を 12 音(クロマ)ごとに集計して、どの音がどれだけ使われたかのヒストグラムを作る
- 長調・短調それぞれの「典型的な使用頻度」のプロファイルと相関を取る
- 12 通り全部ずらして試し、いちばん相関が高い組み合わせを採用する
for (let k = 0; k < 12; k++) {
const shifted = chroma.slice(k).concat(chroma.slice(0, k))
const cMaj = correlate(shifted, MAJOR_PROFILE)
const cMin = correlate(shifted, MINOR_PROFILE)
...
}slice(k).concat(slice(0,k)) で回転させて 24 通り(12 音 × 長短)を総当たりするだけです。「調」という感覚的なものが、ピアソン相関の最大値として出てくるのが気持ちよかった部分でした。
コード推定も同じ発想で、4 拍ごとのウィンドウに出てくる音を、24 個のトライアド(長三和音 12 + 短三和音 12)と突き合わせて最も近いものを選びます。
for (let r = 0; r < 12; r++) {
out.push({ name: `${PITCH_NAMES[r]}`, pcs: [r, (r+4)%12, (r+7)%12], quality: "M" })
out.push({ name: `${PITCH_NAMES[r]}m`, pcs: [r, (r+3)%12, (r+7)%12], quality: "m" })
}長三和音は root から +4, +7 半音、短三和音は +3, +7。音楽理論がそのまま配列の添字になるのが実装していて楽しいところです。
#💾 MIDI をバイト列で書き出す
MIDI ファイルはライブラリを使わず、Standard MIDI File format 0 を直接組み立てました。ヘッダチャンク、トラックチャンク、デルタタイム(可変長数値)、Note On / Note Off を並べるだけです。
分解能は PPQN 480 にしています。四分音符を 480 分割する設定で、三連符(480 ÷ 3 = 160)も付点(480 × 1.5 = 720)も整数で表せます。割り切れる数字を選んでおくと、後で丸め誤差に悩まされません。
#😓 苦労したところ
サンプル音源をどう用意するか。 「鼻歌を録音してください」と言われても、最初の一回は試しにくい。かといって音声ファイルを同梱すると重くなります。そこで OscillatorNode でその場で音を合成して、ちょうちょ・きらきら星・カエルの歌・カノン進行の 4 つを内蔵しました。数十行のデータで、ファイルサイズはゼロです。
無音とノイズの切り分け。 ピッチ検出は無音区間でもそれらしい値を返してきます。RMS(音量の実効値)で閾値を切り、下回るフレームは「音なし」として捨てています。ここを入れないと、息継ぎの雑音が音符になります。
五線譜を SVG で描く。 ト音記号、加線、符頭、符幹、旗、シャープ、音名ラベル。楽譜は「音の高さ = y 座標」という単純な対応に見えて、加線(五線からはみ出た音の補助線)と臨時記号の位置決めが細かい規則の塊でした。ここが一番行数を食っています。
#🔭 今後の拡張
- 和音(同時に鳴る複数の音)の採譜 — 現在は単旋律のみ
- 拍子の自動推定(現在は 4/4 固定で、テンポだけ自己相関で推定)
- MusicXML 書き出し(楽譜ソフトへ渡せる形)
- 休符の明示的な表現
#💡 このサービスから言えること
「機械学習でやること」だと思っていた処理が、古典的な信号処理と統計で十分届くことがあります。 ピッチ検出は 1993 年の YIN、調推定は 1990 年の音楽認知プロファイル。どちらも数十行で、モデルのダウンロードも待ち時間もありません。
新しい手法から入る前に、その分野で長く使われてきた古典的な方法を調べると、軽くて説明できる実装になることが多いと感じました。
[ ./next_action ]
読んだら、 HumScore を実際に動かす。
この開発ログは HumScore をどう作ったかの記録です。 読み終わったらそのままサービス本体へ戻って、 実物で価値を確かめてください。